まだNETに参加して日も浅く、政治とはなにか、というところから勉強しなくてはならない私には、とても有意義な講座でした。
参加者各々が、自分の住む地域の「地域ネット憲章」を読み、そこからそれぞれに様々な意見を出し合いました。それにより、自分が住んでいる地域と他の地域との差違を感じることができ、まだ神奈川に越してきて日の浅い、所謂「新市民」である私が、地域で何ができるのかを考える機会を得たように思います。
講座の中で、文章で情報を発信することに関しての話がありました。
たとえば広報等の文書で自分の意見を発信した際、書いた側は、書いて発信したものが相手に届けば、つい自分の意見が相手に届いたものと思いがちですが、それはなかなか難しいことで、読んでもらえても、内容が読んだ人の中にひっかかることなく流されてしまったり、もっと悪ければあとでにしようと読み飛ばされてそのまま、ということは大いにありえることです。
では、文章にして発信することの利はどこにあるのかというと、書いた本人にある、というのです。自分の考えや意見を文章にして発信したことによって、書いた本人に力がついていく。その話にはとても納得しました。
今も、こうして政治スクールのことを思い出しながら文章にしていますが、書くということにまつわる様々な作業によって、私の中にとどまらず流れていったであろうたくさんのことが、より輪郭をはっきりとさせて私の記憶に残っていきます。
あとは、政治というものに関わるようになってまだ日が浅い私ならではの、気づきもありました。
ちいさな古い木造の一軒家を借りて、保育所を作ったときの話です。
認可を取るために役所に届出。その後役所の方が確認に。
まず、「避難路を書いて貼って下さい」と言われたそうです。ちいさな木造の一軒家。避難路と言われても、前を向けば庭へ出る扉、後ろを見れば玄関のドア。そんな造りでしたが、避難路を書いて貼りました。
それからもうひとつ、「カーテンは防火カーテンにして下さい」と。カーテンだけ防火仕様にしてみたところで、保育所自体が木造障子張りです。紙と木でできている家です。火事になったらきっとこの防火カーテンだけが燃え残ることでしょう。けれどそれも言われた通りに防火カーテンにしました。
それで認可がおりました。
こういったことを聞いて、笑ってしまうか、これだからお役所は融通がきかない、と言って怒るか。それが大半の人の反応だと思います。私もそうでした。
けれど、役所というのは、そうでなければならない。市民から集めた、税金というものを使う場所である、役所というものは融通がきいてはならないのだと。
その基準は、誰が見ても公平な絶対なものでなくてはならず、個人の気分や裁量で揺るがされてはならないものです。
その話を聞くまで、恥ずかしながら、私はそのことに思い至りませんでした。
今まで世の中を近視眼的に見てきた私ですが、政治というものを知ることによって、俯瞰的でグローバルな視野を持つことができるようになりつつあります。
それが、私がNETに関わることで見つけた、未来のためのちいさな第一歩です。
(高津Weネット 小西)